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F. M. ヴェラチーニ

〜〜人生も音楽も豪快〜〜



★天才的ヴァイオリン奏者★

 フレンチェスコ・マリア・ヴェラチーニ(1690年〜1768年)は、バルサンティと同年にイタリアのフィレンツェの音楽家の家系に生まれました。幼いときから、伯父で作曲家・ヴァイオリニストであったアントニオ・ヴェラチーニに音楽の手ほどきを受け、また当時フィレンツェの教会オルガニスト・作曲家であったカジーニにも対位法などを習って、たちまち頭角をあらわしました。とくにヴァイオリニストとしては驚くべき才能があったようで、演奏をきいたカジーニは、どんな難しいところでもらくらくと弾いてしまうすばらしい腕前を見せつけるヴェラチーニのヴィルトゥオーゾぶりについて、感嘆をこめて書き残しています。また、当時の有名なヴァイオリニストであったタルティーニ(1692年〜1770年、「悪魔のトリル」で知られる作曲家でもあった)は、旅先でヴェラチーニの演奏をきいたとき、その斬新なテクニックに驚いて打ちのめされ、翌日には半狂乱でその地を発って妻を兄の家に預けるや、ひとり閉じこもってやっきになって猛練習にあけくれ、ヴェラチーニの腕に何とかして追いつこうとしたとか。またヴェラチーニは作曲家としても早くから認められており、18歳の当時に、スカルラッティやマンチーニなどとともに、24人の選ばれた作曲家の1人として、あるオラトリオの共同(分担)作曲に参画しました(残念ながらこの曲は残っていないとのことです)。

 ※カジーニについて「カッチーニ」としていたのは誤りでした。お詫びして訂正いたします。(2008年4月9日)


★ロンドンで成功、ザクセン侯に抱えられる★

 1714年、24歳のヴェラチーニはロンドンにわたりますが、当時の新聞は「近ごろイタリアより来邦されし有名なるヴェラチーニ氏により交響曲が演奏」されることを報じています。そして何度も演奏会を行って成功をおさめ、ヴィヴァルディーと並ぶすぐれたイタリア人作曲家として評価されるようになりました。そうしたなか、1716年にザクセン選帝侯王太子フリードリヒ・アウグストに「リコーダーまたはヴァイオリンと通奏低音のための12のソナタ」を献呈して、自分の才能をアピールしました。そしてその狙いはみごとに成功し、王太子の推薦によりザクセンの宮廷音楽家として雇い入れられ、ヴァイオリニスト・室内楽作曲家として活躍しました。1721年には作品1の「ヴァイオリンと通奏低音のための12のソナタ」を王太子に献呈しています。


★ほら吹きヴェラチーニ★

 しかし1722年ごろ、ヴェラチーニは神経を病むようになっていたようで、突然二階の窓から飛び降りて足を骨折するような事件が二度も続き、足が不自由になってしまいました。とくに2度目の事件は、ドイツ人演奏家たちとの軋轢がもとで「陰謀」を仕組まれて大恥をかかされたことが契機になったといわれています。事件の詳細は不明ですが、ある記録によると、

 「仕事を求めてドレスデンにやってきたヴェラチーニに、王(注:上記王太子の父で、「強王」の異名をとったアウグスト王)はヴァイオリン協奏曲の演奏を所望された。そこで当地の宮廷管弦楽団のコンサートマスターが、伴奏の奏者たちに曲を示して稽古をつけてやってくれるようにヴェラチーニに頼んだところ、「自作は難し過ぎて独奏パートはおろか伴奏パートもドイツ人奏者などには弾けまい」と考えた“ほら吹き”ヴェラチーニは、他人の曲を自分の曲だと偽って楽団員に渡した。こうして行われた当日の演奏は意外な不出来だったが、ヴェラチーニは平然と王に言いわけして、『ドイツ人の伴奏では映えない曲なのです』などと臆面もなく言い放った。これを聞いたコンサートマスターは、王にドイツ人奏者だけの手でもう1度演奏させてもらえるように願い、これを許されると、彼はリピエノ(伴奏の合奏団)の末席奏者をヴェラチーニのかわりの独奏者に指名し、演奏を行わせた。実はコンサートマスターはこの末席奏者に前もってこっそりと徹底的な稽古をつけてあったのである。そのおかげでこれは驚くべきみごとな演奏となり、臨席した者全員がヴェラチーニを差し置いて拍手喝采することとなった。この事件で打ちのめされたヴェラチーニは、恥辱のあまり数日部屋に引きこもった挙句、公衆の面前で窓から通りに飛び降りた。頭と足に大怪我をしたが命は助かったヴェラチーニは、治療もそこそこに不自由な足をひきずってプラハ、ついでロンドンへと、ほうほうの体で逃げ去った」

というような事件だったとか・・・。これは尾ひれがついた眉唾ものの報告だと言われていますが、しかし、何かドイツ人奏者たちとの軋轢がもとで「陰謀」じみたことがあったということは、ヴェラチーニ自身が晩年の著書でもほのめかしているそうです。音楽先進国イタリア出身のエリート音楽家だったヴェラチーニは、田舎のドイツ人音楽家たちからみると、自分たちをバカにする、傲慢で鼻持ちならない「いやーな奴」だったのかも知れません。


★「ヨーロッパ随一のヴァイオリニスト」★

 ともあれヴェラチーニは1723年に本国イタリアに帰り、そこで10年ほど教会音楽作曲家としての活動を行うことを通じて、音楽家としての評判を再確立しました。そして1733年、ふたたびロンドンに渡り、ヴァイオリン奏者として、またオペラ作曲家として大活躍しました。批評家たちは一致してヴェラチーニを「ヨーロッパ随一のヴァイオリニスト」と評価しました。途中一時的な帰国はありましたが、けっきょくヴェラチーニは1745年までロンドンを中心に活動し、そのかん1744年には彼の最高のソナタ集といわれる「アカデミックなソナタ 作品2」を出版しました。その後、1745年にイタリアにもどったヴェラチーニは、教会音楽家をつとめつつ、著作活動をおこなったりしながら死ぬまで故郷で過ごしました。



★1716年のリコ―ダーソナタ集★

 ヴェラチーニの残してくれたリコーダーソナタは、若きヴェラチーニが自らの卓越した才能を選帝侯王太子にアピールするために用意し献呈した作品集です。全体に規模が大きく、絢爛豪華にして奔放、ヴェラチーニの性格が音楽にも反映した痛快な作風で、口八丁手八丁の「大物」ヴェラチーニの面目が躍如とした傑作。リコーダー音楽の至宝だと言えるでしょう。

リコーダーJPが楽譜等をご提供できるヴェラチーニ作品

アルトリコーダー用
ソナタ 1番 ヘ長調
ソナタ 2番 ト長調
ソナタ 3番 ニ短調
ソナタ 4番 変ロ長調
ソナタ 5番 ハ長調
ソナタ 6番 イ短調
ソナタ 7番 ハ短調
ソナタ 8番 ヘ長調
ソナタ 9番 ト短調
ソナタ 10番 二短調
ソナタ 11番 ヘ長調
ソナタ 12番 ハ短調 NEW! 2011年1月発売


ヴァイオリン用(製品ページ)
ソナタ 1番 ヘ長調
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