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音楽におけるテンポの役割



 リコーダーJPは、「難しい曲はゆ〜っくり演奏しちゃいましょう」とご提案しています。このご提案は、普通の音楽的常識と多少ちがうところのある、特異な提案に見えるかも知れませんので、この問題について、もう少し補足説明しておきたいと思います。ご興味のあるかたはどうぞお読みください。
リコーダーJP ディレクター 石田誠司

■バロック曲の速度表示■

 オリジナル楽器で演奏する古楽奏者の皆さんがバロック曲を演奏される場合、アレグロ(「快速に」)やプレスト(急速に)は一般的な場合に比べて少しゆっくり目で、アンダンテ「歩くような速さで=ゆっくりと着実に」)などは逆にわりとあっさりしている(つまりあまりゆっくりでない)傾向があります。これは、古楽の演奏方法の研究が進んだ結果、これらの「速度記号」は、バロック時代においては、速度というよりは「発想記号(曲の感じを表す記号)」である面が強かった、と考えられるようになったから・・・らしいですね。

 つまり、アレグロの曲は、「快速な感じ」で演奏し、アンダンテの曲は「落ち着いた感じ」で演奏してほしいということであって、必ずしも速度そのものの問題ではない、というわけです。したがって、アレグロもアンダンテも、テンポそのもには大きな違いはない、ということになります。専門家の皆さんがおっしゃることですから、きっとそう考えるのが正しいのでしょう。



■正しいテンポなど存在しない■

 もともと、ある楽曲を演奏するのに、「正しいテンポ」などというものが客観的に存在するわけではありません。これは、ある意味では、作曲者が数値で速度を指定している場合ですら、そうです。作曲者がいつも正しいわけではありません。手近なところでは、ベートーヴェンが自作につけた速度のメトロノーム表記を守る演奏家は滅多にいない、ということを指摘しておきましょう。

 プロ奏者の演奏をたくさん聴いてきた人なら、たとえばモーツァルトの交響曲イ長調(ふつう29番と呼ばれる)の第一楽章の演奏には、名演奏家と目される人たちの間で、ほぼ2倍の幅でテンポの違いがあるということをご存知ではないでしょうか。遅い方の代表はカール・ベーム指揮ベルリンフィルハーモニー管弦楽団の演奏だと思いますが、これに近いテンポを採用した演奏は、他にもけっこうあります。速い方では、古くはブルーノ・ワルターや、少し後にはネヴィル・マリナーが指揮したアカデミー室内管弦楽団の演奏があり、以後、最近の人たちはだいたい速く演奏する人が多いように思います。

 それにしても「2倍」というのが凄いでしょう。実際にメトロノームを使って体験されるとよくわかりますが、テンポが2倍も違っては、まったく別の楽曲のように感じがちがいます。

 モーツァルトのこの曲の場合は、やや極端な例です。しかし、こんな例があるぐらい、楽曲演奏のテンポというのは、いろいろな可能性があるものです。クラシック曲の演奏では、演奏者によって、大なり小なり、こういうテンポの違いがあります。

 つまり、それぐらい、音楽のテンポというのは可能性の広いものなのです。



■テンポと脳の処理速度の関係■

 ところで、管弦楽の指揮者たちは、高齢になるとテンポをゆっくり目にとる人が多くなるように思われます。若いころはさっそうとしたテンポで爽快に演奏していた曲を、年を取ると、じつに落ち着いた、渋いテンポで演奏するようになるのです。一般に、快速な(快速さに魅力がある)曲の場合は、テンポを速くとる方がかっこよさが出やすくなりますが、反面、細部の美しさは味わいにくい大味な(雑な)演奏になりがちとなります。ですから、年を取って演奏解釈が緻密になり、細かなところまでしっかりやれるようになると、少しゆっくり目のテンポが採用できるようになる・・・というような要素もあるのかも知れません。

 しかし、より大きな、本質的な理由は、「脳の反応速度、処理速度」の問題なのではないか、と私は思うのです。

 余談じみますが、ちかごろの若い漫才師の漫才などを見ていると、「早口すぎてついて行けない」と思うことがあります。頭の回転がついて行かないのです。これは自分も年を取ったという証拠かなぁ、などと内心ちょっと嘆いているのですが、いわばそれと同じようなことが、音楽においても起こるのではないか。つまり年を取って脳の反応(処理)速度が少し緩慢になってくると、音楽においても、早口な進行では何か音楽に素通りされてしまうように感じ、少しゆっくり目な進み方を好むようになるのではないか、と私は思うのです。

 そう言えば、かつて「音楽芸術」誌に掲載された対談で、作曲家・ピアニストの高橋悠治さんが、「自分の曲を自分で演奏すると、自分ではその曲のことはよくわかっているからか、どうも速すぎるテンポで演奏してしまうようだ」という意味を語っていたことがあります。これも、テンポが速すぎたり遅すぎたりという問題は、「弾き手や聴き手が理解できる速度、味わえる速度」ということと、密接な関係があるということを示唆しているでしょう。

 そこで、上手でないアマチュアが難しい曲を演奏しているときは、脳は演奏するのに必死で働いていて、目いっぱいなわけでから、自分でじれったく感じることなどあり得ません。つまりは、そのテンポが当人にとって演奏できるギリギリのテンポであれば、それは演奏している人にとっては「極めて快速な演奏」に聴こえているものです。自分が演奏して楽しみたい私たちにとって、それで十分ではありませんか。



■テンポとリズム感■

 もちろん、楽曲のテンポは、聴き手や弾き手の「理解、味わい」の時間的余裕との関係だけに関係しているのではないと思います。音楽のリズム感という、もう少し感性的な、あるいは「肉体的な」と言ってもいいかも知れませんが、そういう面とも密接に関係しているでしょう。古い時代には、西洋では脈拍の速さとの関係で楽曲のテンポを定義するような試みがあったようですが、実際これは的を射た考え方だったのではないか。脈拍の速さというのは、1分にだいたい80内外ではないかと思いますが、これは音楽で言えば、実に快適な中庸テンポです。私たちが歩くときのテンポもこれにわりと近いですね。

 このように、音楽のリズム感というのは、人間の体がもともと持っている脈拍や歩行という規則正しいリズム(これが、場合によっては、ゆっくりになったり非常に速くなったりすることがあるのもご存知の通りです)と、たぶん密接な関係があって、気持ちのいいリズム感というのは、それだけで生理的な快感に結びつく性質を持つものです。ですからある楽曲のテンポを極端に速くしたり極端に遅くしたりすると、こういう楽しさがある程度損なわれるということは、見逃してはいけないでしょう。



■テンポについてもっと柔軟に考えよう■

 しかし、それは認めるとしても、楽曲のテンポというのは、やはり、かなり自由度の大きなものなのです。とくに、演奏する人にとっては、「理解や味わいの速度」だけではなくて、技量の制約もあるわけですから、速すぎて演奏できない曲は、かなりゆっくり演奏したっていいと私は思うのです。音楽評論家・吉田秀和氏によれば、名ピアニスト・ルドルフ=ゼルキンですら、ブラームスの協奏曲を演奏するとき、自分の指が回る速度(晩年のゼルキンはかなり指回りに苦労するピアニストでした)を考えて、ずいぶんゆっくり弾いていて、それでも指がもつれて大変そうだった、というのですから、まして、アマチュアの私たちが、自分の技量に合わせてテンポを決めたって、いっこうに恥でも何でもありますまい。

 たとえば私も、テレマンのソナタなどになりますと、今のところ、プロのかたが普通採用しておられるテンポの1.5倍近いゆっくりなテンポでしか演奏できないような曲があります。しかし、それでもやっている本人にとっては、ずいぶんせわしない「快速なテンポ」と感じられます。楽しいですよ、十分に。



■ゆっくりな演奏が別の魅力を引き出すこともある■

 もっとも、人様に聴いていただくのならば、多少は考える必要があります。しかし、私たちのようなアマチュアが気楽な場でやるのであれば、「ちょっと普通よりもゆっくりな演奏なんですけど」と一言ことわってから演奏することにすればいいでしょう。そうすれば、聴き手のほうも、少しのんびりした気持ちで聴く気になり、それはそれで、いろんな気づきがあって、楽しいものです。

 たとえば、今までは爽快でスピード感あふれる点が魅力だと思っていた曲が、おや、意外とやわらかな魅力がいろいろあるんだなぁとか、このへんはずいぶん凝った和音進行なんだなぁとか、そういう、速い演奏ではあまりよく味わえてなかった細部の魅力に気づいていただけるでしょう。このように、古典の名曲というのは、快速なはずの曲を少しばかりゆっくりやったからと言って、それで音楽が台無しになるということはありません。それぐらい、内容が豊かなものなのです。

 そして、1年か2年たって、少し上手になったら、今度は、「少し速くやれるようになったから、また聴いてください」と言って、再び披露してみるとか。アマチュアの音楽演奏は、そんな感じでもいいと私は思うのです。



■作曲家は怒りはしない■

 作曲家だって、多くの人から「難しいから吹けないや」とあきらめられるよりも、「少しゆっくりなら吹けるから、自分に精いっぱいのテンポで楽しもう」と思って演奏してくれるほうが、何倍も嬉しいに決まっているではありませんか。もっとも、19世紀以後の作曲家で、しかも「プロ用」の曲を書くのを専門とする(した)ような人の中には、「自分の曲は自分が指定した以外のテンポでやられるのは不本意だ、やめてくれ」なんて言うような、気難しい作曲家も、もしかしたら、いるかも知れませんが。

 そういう人は、私たちのような「演奏して楽しもう」と思っているアマチュア愛好家には、あまり関係のない人だなぁ、と私は思います。そんな人は、アマチュアのためのリコーダー曲など、どうせ書いていませんから、気にすることはありません。

 私たちがその作品を演奏して楽しもうと考えている、バロック時代の作曲家たちや、リコーダーJPに作品を託してくださっている作曲家の皆さんは、みんな、そんな度量の狭い作曲家ではありません。アマチュアがそれぞれの技量や事情に合わせて、精一杯の演奏で楽しんでいるのを、嬉しく思いこそすれ、苦々しく思うような人はいません。

 音楽演奏を難しく考えすぎるのはやめようではありませんか。作曲家たちは、名人でも上手でもない、多数のアマチュア奏者のためにこそ、その作品を書いたのですから。




難しい曲はゆっくり演奏しましょう


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