リコーダーJPの制作スタンスについて
RJPに対するご批判を念頭に置きつつ
(2006.5.8)
永年のリコーダーファンの皆さんや一部の専門家の先生がたをはじめ、いろいろなかたがたの間で、リコーダーJPの製品に対してさまざまなご批判や否定的なご意見があるのは、プロジェクト発足当初から、否、発足以前(計画段階)から、十分に承知しております。
もちろん、私たちをどなたがどのように批判されるのもご自由であるのは言うまでもありません。ただ、私たちにも釈明の機会はあってよいと思いますので、これらのご批判を念頭に置きつつ、私たちの立場を表明しておきたいと思います。(文責・ディレクター・石田誠司)
■リコーダーJP製品の特質
さて、リコーダーJP製品では、
(1)編曲・通奏低音実施は現代の作曲家が担当する。
(2)チェンバロの演奏については、MIDIチェンバリスト・石田がサンプリング音源を用いて制作する。
(3)「演奏例」や「マイナスワン」用の演奏は有志のアマチュアが担当する
のを原則としています。これらがRJP製品の独特なところであると言えるでしょう。
以上のことは、裏を返して言えば、
(1)編曲者・通奏低音実施者は、音楽の専門家ではあっても「古楽の専門家」ではないため、リコーダーJP製品に収録されている編曲・通奏低音実施は、古楽の専門家の皆さんが採用されているスタイルとは大なり小なり異なるスタイルによる音楽になっている。
(2)使用している楽器は原則として「生の」チェンバロではない。
(3)演奏例やマイナスワン用演奏は、古楽やリコーダーの専門家の先生がたや古楽・リコーダー音楽に精通した高度なファンの皆さんから見れば、高く評価できるものではない(らしい)場合が多い。
ということになります。ご批判はおおむねこれらの点に関するものがほとんどだと思われますので、以下、これらについて、現時点における私の考えを表明しておきます。
■(1)演奏スタイルの問題
編曲・通奏低音実施を担当する作曲家陣は、「古楽の正統的スタイル」に背を向けようと考えているわけではなく、古楽の専門家のかたがたの演奏や古楽の研究成果には今までも学んで参りましたし、これからも機会あるごとに学び自分の音楽性の中に消化していきたいと考えています。
しかし、もともと古楽におけるチェンバロ演奏が「即興」を前提とする演奏スタイルであることを考えると、現代の作曲家が五線紙を前に編曲・通奏低音実施を考える場合、おのずと違う方向性を目指すことにならざるを得ない面があります。編曲・通奏低音実施を行なう作曲家としては、そういう中で、自分の音楽性に忠実に、音楽的判断において最善を尽くすしかありません。
また、もともと編曲・通奏低音実施という創造的な行為においては、「血肉化されていないままにスタイルを真似る」ような姿勢は自殺行為です。音符を書く作曲家(編曲家)は、自分の耳を信じ、自分の音楽性を信じて仕事をすべきものであり、そうしてこそ最善の成果を上げることができるものなのです。
そして、そのようにして制作されているRJP製品における「編曲・通奏低音実施」に、独自の音楽的な良さ・楽しさが、ないのかどうか。これについては、お使いいただく皆様のご判断に委ねるしかありませんが、言うまでもなく、制作している側としては「ここには十分に音楽的な良さ・楽しさがある」と考えるからこそ制作・発表を続けているわけです。
たとえば、森好美さん・田淵宏幸さんの通奏低音実施における対位法的処理の緻密さ、「きゃっつ」さんの実施における躍動的な音使いなど、いずれもこれらの人たちの技量と個性が存分に発揮されたすばらしいものであって、逆にチェンバロ奏者のかたの「即興」に求めるのは極めて難しい、「ここにしかない、かけがえのない良さ」があると私は考えております。そして、バロック作品から、このような「古楽の専門家の演奏からは得がたい、独自の良さ」を引き出し得ていることに、私はプロジェクトのディレクターとして誇りを持っています。
■(2)本物のチェンバロではないこと
サンプリング音源を用いて演奏する石田の演奏方法は「生楽器を指で弾き、出た音をアコースティックに録音する」という通常の方法とは異なりますので、おのずと「違う雰囲気の演奏」になります。
これについても、「本物のチェンバロによる演奏と違う」が故に「ダメだ」とお考えになるかたもいらっしゃるでしょう。そういうかたには、RJP製品は全く必要のないものですから、これからもRJP製品とは無関係に音楽生活を送られるのがよいでしょう。
しかし、「これはこれで楽しい、これはこれで良さがある」と考えるからこそ、私たちは制作を続けています。たとえば、自分で言うのは気が引けますが、リズム感の精彩ある扱いや速いパッセージも正確な演奏を実現していることなどは、生演奏のチェンバロに求めても難しい水準の演奏になっているはずです。むろん、生チェンバロとの共演にはそこでしか得られない楽しさがあるのはもとより言うまでもありませんし、本物のチェンバロによる伴奏を生録音した他社製品(海外製品ですが)もおおいに結構だと思いますが、上記のような「RJP製品ならではの良さ」を「も」楽しめる皆さんのほうが幸福ではなかろうか、と私は考えます。
ただし、本物のチェンバロによる生演奏の伴奏CD制作についても検討・研究を続けており、将来はご提供していきたいと考えております。しかし、品質のよい「生演奏の伴奏録音」を行なうには、さまざまの困難があります。とくに「リコーダーファンのためにぜひ協力させてほしい」とお考えくださるすぐれたチェンバロ奏者のかたの登場を、リコーダーJPは常に切望しております。
また、「本物のチェンバロとの生アンサンブル」を、もっと多くの人にとって手の届くものにしたい、という願いも強く持っておりますので、それをめざすプロジェクトも進行中であることを付言いたします。
■(3)演奏例がアマチュアの演奏であること
あらゆる音楽演奏の楽しみは、その享受を望むすべての人に対して開かれているべきものであって、だれかの特権的な占有に任せておく必要は全くないものだと私たちは考えています。とくにバロック時代の膨大なソナタ類の遺産は「もともと一般のアマチュア愛好家のためにあるものだ」とすら思っております。当時の作曲家たちがこれらのソナタを作曲したり楽譜を出版したりしたのは、多くの場合、アマチュア奏者たちの楽しみに供するためだったからです。
むろん専門家の先生がたが、すぐれた才能・高度な技術・高い音楽性を発揮しておこなわれるすばらしい演奏を嘆賞し尊敬することにおいて、私たちも人後に落ちるものではありません。しかし、「下手なアマチュアが気安くこれらを演奏すべきものではない」などとは、私たちは思いません。そのような偏狭な考え方には、これからも断固、反対して戦います。
そして、アマチュアが下手なりに最善を尽くして一生懸命演奏した演奏が「楽しくない」とは私は思いません。音楽の楽しさは、それほど上手でないアマチュア奏者の演奏からでも十分に感じられるものであり、アマチュア愛好家は、それをお互いに楽しんでいけるものだと私は考えております。
また、伴奏CDに「模範演奏」と呼び得るような「質の高い演奏」を収録するためには、通常、多額の費用が必要です。過去、プロジェクトの趣旨にご理解をくださり、非常に安い謝礼で演奏をしてくださったプロ奏者のかたも(付言すれば解説内容についてのご監修、インタビューへのご協力などをくださった専門家の先生がたも)いらっしゃいますので、製品にはときたま「プロ奏者の演奏」(や「専門家の先生の監修」「インタビュー」など)も登場しますが、リコーダーJPの製品の価格は、ほとんどの製品においてアマチュア有志(RJPサポーターの皆さん)がボランティアで演奏例演奏をしてくださっているからこそ(さらには、校正・楽譜制作などについても多数のサポーターさんたちがボランティアでご協力くださっているからこそ)可能となったものなのです。
したがって、「仲間とアンサンブルで遊ぶのが難しい人の役に立てれば」「譜読みが苦手な人の役に立てれば」と、演奏例演奏を担当してくださっているサポーター有志の皆さんは、アマチュアリコーダー愛好家の皆さんにとって大切な役割を買って出てくださっているのだと私は考えております。アマチュア愛好家の皆さんの暖かなご理解を願ってやみません。
以上
2006年5月8日
リコーダーJP ディレクター 石田誠司