○○森 好美先生 直撃いんたびゅー○○
●大阪人は漫才師かヤクザばっかり?
RJP:森さんは北海道でお生まれになったんですか?
森:いえ、生まれたのは宮城の石巻なんです。3つのときに熊本に移って、北海道はその後なんです。小学生の間は北海道の釧路にいました。
RJP:そうでしたか。釧路って寒いところでしょう・・・
森:ええ、あの寒さはよく覚えていますねぇ。マイナス20度ぐらいになりますから、冬なんか道がずっと凍ってまして、スケート靴はいて、学校まで滑って行ったりとか(笑)
RJP:そりゃすごいですねぇやっぱり(笑) で、その後は大阪ですか。
森:ええ、その後はずっと。
RJP:引っ越しばっかりで大変でしたね。
森:そうですねー。環境の変化がすごかったですから。とくに言葉です。大阪に来たときは、道行く人がみんな漫才師かヤクザかどっちかとしか思えませんでした(笑)
RJP:(爆笑)確かに、テレビに出てくる関西弁というと、そんな感じですもんね!
●音楽というより「音」が好きだった
RJP:それで、ピアノ習ったりされてたんでしょう?
森:それがね、私はエレクトーンをやってまして、ピアノ習い始めたのはずっと遅く、高校生からなんです。
RJP:ほう、そうなんですか。でも音楽はお好きだったんでしょう。
森:ええ、好きではあったんですが、それ以上に「音」が好きだったというか、音そのものに興味がありました。だから、エレクトーンでも、いろんな自分の好きな音を作るのが好きで、さっぱり弾く練習はしないという困った生徒でした(笑)
RJP:へぇぇ(笑) じゃ、その後、シンセなんかでも・・・
森:ええ、シンセでいろんな音を作るのは今でも好きですねぇ。
●消去法で選んだ(?)作曲
RJP:作曲家になりたいとお思いになったのはいつごろですか。
森:それが・・・ある意味では、消去法で、しかたなく作曲に進んだというか(笑)
RJP:なんですって?(笑)
森:小学校の卒業文集に「将来は音楽の仕事がしたい」って書いてるぐらいで、音楽はやりたかったんですけど、親はあまり賛成じゃなかったんです。それで、高校に入るとき、親とかけひきしまして、「進学校に行ったら、音楽をさせてくれる」という約束を取りつけたんですね。それで、ぶじ進学校に進みまして、さて音大をめざそうとしたんですが、そこでハタと気がついたんです。
RJP:何にですか・・・
森:ピアノもうまくない、他の楽器ができるわけでもない、歌もうまくない私を受け入れてくれそうな学科っていうと、作曲科ぐらいしかない、と(笑)
RJP:あちゃー(笑) でもよく言いますよね、楽器ができる人は楽器奏者になり、できない人は作曲家になり、それもできないやつが指揮者になるんだとか(笑)
森:そうそう、ソレですまさに(笑)
●森流の音楽表現スタンス
RJP:でも、そうはおっしゃっても、作曲は早くからやってらっしゃったんじゃないんですか。
森:そうですねぇ、まぁ高校のときに、クラス対抗の合唱コンクールのために曲を書いたり、あと、エレクトーンの発表会だなんていうと、たいがい自作曲を弾いてました。だいたい、他人が書いた楽譜を、その通りに弾くなんていうのが、あまり好きじゃなかったんです。わがままなんです(笑)
RJP:あははは、「わがまま」ね。森さんそういう感じはあるかな(笑)
森:でしょ(笑) でもって、自分を何かカテゴリに入れるというのもキライなので、JOC(注:ヤマハのジュニアオリジナルコンクール)なんかのコースにも入らないんですよねー(笑)
RJP:なるほど。あくまでも自分流を貫く少女だったわけですね。
森:今でも、自分を「作曲家」だと、あまり思わないんです。むしろ、「表現者」の一人だと。文章が得意な人は文章で自分を表現するし、絵が上手なかたは絵で自分を表現する。私の場合はたまたま作曲が得意だったので、作曲によって自分を表現する、表現者だ、という感じが強いです。
●学生時代・院生時代
RJP:音大に入られていかがでしたか。
森:楽しかったですねぇ。「これでやっと音楽の勉強ができる!」という思いがありましたから、ほんとに珍しいぐらい、大学には毎日行ってました。それに、私が通った大学は芸術大学で音楽以外の学科もありましたから、絵を描く友達や舞台芸術の友達なんかもできて、そういういろんなジャンルの芸術に親しむことができたのも、とても良かったんです。
RJP:なるほど。何かエピソードなんかありますか。
森:ええ、文芸の授業にこっそりもぐりこんで受講したりね、あと、絵を描いてる友達のとこに行って、手伝ったりして・・・で、むちゃくちゃにしちゃって、「私これ明日提出なのに・・・」って嘆かれたり(笑)
RJP:ひどい(笑) 大学院はいかがでした?
森:大学院はねぇ、音楽大学でしたから、音楽やるしかなくって、わりとつまんなかったです(笑)
RJP:あははは、いいんですかそんなこと言って、先生にしかられません?
森:いいんです、どうせもう、とっくに破門状態ですから(笑)
●生徒から教わる
RJP:ははは。じゃ、この先生にすごく影響を受けたとか、そういうことはないんですね。
森:そうですねぇ。子供のときから、わりと先生ていうものを冷ややかに見ていて(笑)、この先生にはこういうことは教われるけど、こういうことは教われそうにないからこれは自分でやるしかないなとか、そんなふうに考える・・・なんか、サバサバしてるというかね。怖い子供ですねー(笑)
RJP:ほんとですね(笑) でも、森さん、そんな感じですね。
森:うん(笑) で、私はむしろ、自分が教える相手のはずの生徒からたくさんのことを教わってきました。生徒に恵まれた、という気がします。
RJP:ほう・・・それは、作曲の生徒さんですか?
森:ええ、ピアノなんかもありますけど、大人のかたなどにも作曲を教えますのでね。そういう大人のかたとか、あと障害児の生徒なんかもいるんですけど、とても感受性が鋭くて。よく「教わったなぁ」と思います。
RJP:うーん、それはほんとにすばらしいお話ですねぇ!
●コンピューター音楽との出会い
RJP:それで、大学院もお出になったあと、コンピューター音楽を教えるお仕事をされたんですよね。コンピューター音楽は、学生のころからやってらっしゃったんですか?
森:ええ、芸大のとき、学校に9インチぐらいのディスプレイのちっちゃなMacがあったんです。
RJP:ありましたねー、そういうの(笑)
森:あったでしょう(笑) で、こういうことができるということは知っていたんですが、院に進んでから、ソフトも楽器も良くなってきたのを知って、「次の時代はコレだ!」と思ったんです。それで、もう次の日にはエレクトーンを売って・・・
RJP:えーっ(笑
森:そうなんです(笑) それで、Macと楽器とソフトと、一式買いました。
RJP:すごい決断力・行動力ですねぇ・・・。それで、教える仕事してらっしゃって、その後、教育ソフトの会社にかわられたんですね。
森:ええ、学生のころからその会社には曲を提供したりしてましたので、その会社が規模を大きくするタイミングで、声をかけていただいたんです。でも、要するに安くこき使おうということだったみたいな(笑)
RJP:ひどい言い方(笑)
●フリー作曲家に
森:でも本当に大変で。作曲から録音、ミックスダウンまで全部やってましたし、東京までナレーションを録音しに行ったりもしましたしね。けっきょく体壊してしまいまして・・・
RJP:あらぁ。そうだったんですか・・・
森:まぁそれだけじゃなくて、なんか「商品を作っている」という感覚で、自分を表現するという感じからどんどん遠のいて行ってましたから・・・むなしくなったんですね、それが。
RJP:なるほど。それはわかるような気がしますねぇ・・・
森:それで今は、コンセプトとしては、もう一人のピアノの先生と組んで、「プロの人もアマチュアの人も、いっしょにわいわい楽しく音楽をやりましょう」という、ホームコンサートをやったりしてるんです。教えている生徒も来ますけど、このホームコンサートだけ来てくださるかたも、けっこういらっしゃるんですよ。
RJP:とってもすてきな活動ですね! その他に、関西フィルや、その奏者のかたから頼まれての作曲のお仕事とか、されてるんですよね。
森:ええ、でも、オーケストラにやってもらうとなると、どうしてもアレンジになっちゃうんですけどね。
RJP:それは、ほとんどの作曲家の人が、そうでしょうねぇ・・・
●一日いちにちを大切に
RJP:森さんの、今後の目標のようなものというと、どんなことでしょう。
森:うーん、よく聞かれるんですけど・・・私は、あまりそういうことを考えていないんです(笑)
RJP:えーっ、そうなんですか?
森:ええ・・・といいますのは、数年前から、友人がばたばたと何人も亡くなりまして。
RJP:えっ・・・
森:そうなんですよ。それで、あまり先のことなんか考えるよりも、いませっかく生きている、この一日いちにちをとにかく大切に、しっかり生きていきたい、みたいに考えるようになりました。
RJP:なるほど・・・
森:まぁ、目標というと変ですが、何をやりたいというより、もっともっと自分の引き出しを増やしたいですね。それも実用化できるような。音大で習ったことって、あまり実用にならないことが多かったものですので(笑)
RJP:また・・・そりゃ破門になりますね(笑) でもまぁ、それはよく言われることでもありますよね。
●日本古来のものも大好き
森:ええ。実際、音大なんか行ってないかたで、すばらしい作品を作っているかたがたくさんいますよね。
RJP:そりゃもう。武満さんがもう、そうですものね。
森:そうですよねぇ! 武満徹さんの作品なんかも、大好きで・・・生きてらっしゃる間にお会いしたかったです・・・。武満さんって、ちょっと残念なのは、海外でのほうが、本当の熱心な支持者が多いですね。
RJP:うーん、そうみたいですねぇ。武満さんの音楽は、日本の伝統音楽もしっかりふまえた、日本的な響きとか、「間」とかがすばらしい、とよく言われてますよね。そういうとこが、外国人のかたのほうが、日本人以上に、魅力的に感じられるのかも知れませんね。
森:そうかも知れないですね。日本人は、西洋のものを尊ぶところがありますけど、私は能楽などの古典芸能とかね、日本古来のものが好きなんです。
RJP:やっ、そうなんですか! これはちょっと意外です。
森:あら、そうですか?(笑) 高いのでそうしょっちゅうは行けないんですけど、お能なんかたまに観に行くと、休まりますねぇ。余韻とか、抑揚とか、間とか・・・そういうのが、とても気持ちがいいんです。
RJP:なるほど・・・。森さんは、これまで主として室内楽作品が多かったみたいですし、これから、日本の伝統音楽なども含めて、たくさんの引き出しを増やしていただいて、頑張っていただきたいですね!
森:ありがとうございます。
(2002.03.30.)
〜森 好美さんについて〜
森好美さんの音楽からは「空気」あるいは「空間」が感じられる。リコーダーJPの委嘱練習曲で言えば、初級者のための「昼下り」ではけだるい真夏の風の萎えた空間や、次いで少しひやりとした木陰の中に身を置く思いがするし、中級者のための「雪の帰り道」ではピンと張りつめた凍てつく大気の中を心はずませながら飛び歩く子供たちの姿が目に浮かぶ。そして中・上級者向け「鳥たちのあいさつ」ではひろびろとした大空を舞う雄大な気宇がみごとに表現されていると言えるだろう。
また、語り口の親しみやすさと物語性。音楽の提示するイメージがいつも鮮明であり、語りかける内容に説得力があるので、演奏する者もきいている者も、置き去りにされるということがない音楽である。
そして、響きに対する新鮮な感覚。森さんの作品は、必ずと言っていいほど、きいたことのない新鮮な響きで心地よい驚きを感じさせてくれる。これも言い落としてはならない魅力だろう。
これほどたくさんの美点があるのだから、彼女の作品は常に注目に値すると言って過言ではない。電子オルガン・シンセサイザーに早くから親しみ音色作りに熱中してきた経歴が実を結んでメジャーデビューを果たしたアルバム「Remember
You」(2004年)も、収められたいくつもの楽曲がラジオ・テレビの番組などで用いられていて、実は多くの人の耳に触れている。その他、音楽学習者のための楽しい協奏曲作品・ピアノ曲、数多くの編曲や電子楽器用演奏データ制作、そしてバロック作品の通奏低音実施と、森さんの活動領域は広い。ジャン・バプティスト・ルイエの数々のアルトリコーダー用ソナタをアマチュアが手軽に楽しく演奏できるように、音楽的に極めて精彩ある実施を提案し続けてくれているのが森好美さんである。
このたびは、練習曲ではない初めての本格作品として、委嘱第4作「幻想曲ふうソナタ」を発表できることとなった。これからもリコーダーJPは森さんのお力なくしては発展していけないだろう。
2006年11月
リコーダーJPディレクター 石田誠司