演奏することそのものの楽しさ
〜1人で気が向いたときに気軽に演奏して楽しむ文化〜
音楽って、頑張って練習して、人前で上手に演奏できるようにならないと、駄目なものなんでしょうか? 立派な会場の舞台に立って大勢から拍手がもらえないと、楽しくないものなんでしょうか?
私たちは、「そうじゃない。そんなに上手でなくてもいいし、気が進まないなら無理に人前でやらなくてもいい」と考えています。そして、もしかしたら少し極端な意見に聞こえるかも知れませんが、「たとえ誰も聞いていないところでたった1人で、自分の技量に合わせた普通よりゆっくりなテンポで演奏するのでも、音楽演奏は、それだけで楽しい」と考えています。
リコーダーJPのご提案を試していただいたかたの中には、きっとそうお感じになったかたも、少なくないと信じています。
ここでは、この点についてのリコーダーJPの立場をまとめておきたいと思います。
■1人で演奏して楽しいなんて、なんか変?■
たとえば、何かの拍子に、ふと、音楽が体の中からわき出るような感じがすることがありませんか。そういうとき、多くの人は、好きな歌をちょっと口ずさんだりします。ちょっと気分が乗ったら、だれかを誘ってカラオケに行って気分よく歌ってくるかも知れないし、人によっては久しぶりにピアノの蓋をあけて、以前習ったあれこれの曲を弾いてみるかも知れません。
そんなふうに、「ふと気がむいたときに、音楽をかなでる」のは、人間にとって、本当に楽しいことなのです。ちっとも変なことなんかじゃありません。とてもすてきなことです。
そんなときに、歌うのもいいけれど、ひょいとアルトリコーダーを取り出し、チェンバロの伴奏にともなわれて、バロックの名作のあれこれや、すぐれた現代作品のあれこれを演奏してみる・・・。こういう楽しみのある生活を、私たちは、皆さんにご提案しているわけです。
もちろん、仲間といっしょにやる音楽演奏は最高に楽しいものです。でも、1人ですてきな曲を演奏して楽しむことが基本にあってこそ、それを親しい人たちと分かちあうこともできるのです。まずは、あなた自身が、演奏してみて楽しめているのが、すてきなことなのです。
■名曲の演奏を誰もが楽しめるように■
リコーダーは本当にどなたでも始められるすばらしい楽器ですが、単音楽器ですから、1人でやれることには限界があります。せっかくバロック時代に達成された、アマチュアの演奏にぴったりの名曲の数々があるのに・・・。
それらの名曲を演奏する楽しみは、従来は、チェンバロ伴奏をしてくれる人が手近に存在するような、ごくめぐまれた環境にあるかたや、専門家(プロ奏者)だけに可能なことでした。私たちは、そういう「高尚な」楽しみを、ごく手軽に自分のものにしていただけるご用意ができ、それを発展させていく見通しが立った、と考えて、このサイトの運営プロジェクトの開始に踏み切ったわけです。
それにあたってのポイントは、アマチュアの楽しみのための必要を満たす、安価で、音楽的で、しかもお1人おひとりの個性的な感性に広くフィットする柔軟さを持つ伴奏CDでした。これを製作できるようになったのが、最大の技術的なポイントなのです。
■気軽に、手軽に、自分の楽しみのために演奏する■
ところで、「気軽に、手軽に、楽しみのために」と言うと、何だか、音楽という高尚な芸術をナメた考え方のようにお感じになるかたも、いらっしゃるかも知れませんね。
しかし、音楽を演奏するのに、プロ奏者の皆さんのように、人に聴かせるのを目的にして「頑張って練習する」という感じでやるのは、スポーツをやるのに、「勝つ」という目的だけのために歯をくいしばって苦しく厳しい練習をやるようなものです。もちろん、それはそれで尊いことですが、みんながみんな、そういう姿勢でやる必要はありますまい。
もっとも、ある程度じょうずに演奏できればこそ楽しいということはありますから、いつも「よりよい演奏」をめざして努力していくのは当然ですし、それでこそ楽しいわけです。ですが、何も、人前で演奏するだけが音楽演奏の目的ではありません。むしろ、音楽演奏の楽しみは、自分自身のためにこそあるのです。
そう、家で、ふとリコーダーを手にとり、気に入りの曲の伴奏を鳴らして一人で演奏する。こんな行為に魅力を感じるのは、少々でも、「変わったこと、妙なのこと」なのでしょうか。少しもそんなことはないのです。むしろ、これこそが、もっとも正統な、本来の音楽の楽しみかたなのです。現在では、音楽といえば、演奏して人に「聴かせる」ということが不可欠の要素のように考えられているきらいがありますが、これはたいへんゆがんだ考え方で、音楽にとって、非常な不幸ですらあります。
■虚無僧の尺八、青年剣士の横笛■
たとえば、日本でも、江戸時代から明治大正のころまでは、気が向いたときに三味線を取り出して、弾き語りで地歌や長唄を歌って楽しむ娘さんやおかみさんがたくさんいました。それは、大勢の聴衆に聴かせるためにあった音楽演奏ではありません。
あるいは琴なんかも、座敷で一人で弾いて楽しむ人、またはせいぜい、恋人や両親などに弾いて聞かせるだけの「アマチュア奏者」がたくさんいました。「琴を弾く」とは、むしろそういうことだったのです。その証拠に、江戸時代に、プロの「琴奏者」が「公開演奏会」を開いたなんて話は、ついぞ聞いたことがありません。もしあったにしても、それは例外で、けっして定着し広く流行した形ではなかったでしょう。
日本古来の横笛や尺八だってその通りです。時代劇でごらんになったことがあるかと思いますが、尺八を奏する虚無僧にせよ、横笛をかなでる青年剣士(少年剣士もいましたね)にせよ、みんな、誰が聴いていようが聴いていまいが、自分の音色に耳をかたむけながら、自分がかなでる音楽にひたり切って、無心に演奏して楽しんでいたのではないでしょうか。
■バッハの「平均律クラヴィーア曲集」に関する吉田秀和氏の説■
これは西洋音楽でもまったく同じことです。音楽評論家・吉田秀和氏は、いまはピアニストが演奏会で弾くバッハの「平均律クラヴィーア曲集」という名曲、人類にとって最高の贈り物である名作について、こう書いています。
「これらの曲---のすべてとはいわなくとも圧倒的多数---は、ひとにきかれるためではなく、自分できき、そのなかに自ずから楽しみがあり、その楽しみの中で、時のたつのも忘れさせられる---という具合にひかれるためにあった。それを近代的孤独のニュアンスで解釈する必要はないだろう。(中略)それに第一、きき手が---あるいはきくともなく、きかないともない人が、そばにいたって、一向さしつかえはないのである。」
「その人は、クラヴィーアの前に坐り、この曲集の頁をめくり、あれこれの曲をひく。そばに彼の妻がいて、ぬいものをしているかも知れない。そうして彼女は時々彼の横顔にそっと目をやり、『この人はいつまでああやってひいているのだろう?』と胸の中で考えたり、『来月は長男に新しい靴を買ってやらなければならない』と考えたり、もしかすると、良人にいうともなく、そのことを口に出してみるかも知れない。あるいは、同じ音楽の通人仲間が訪ねてきて、彼のひくのに耳を傾けているかも知れない。ほの暗いあかりに照らされた褐色の家具や壁板、床板によって区切られた部屋の中で・・・」(『レコードと音楽』音楽之友社・38〜39ページ)
こういう音楽の楽しみかたの伝統があり、そのための、それはそれはすばらしい作品がたくさんあるのです。ヘンデルやテレマンのリコーダー曲、バッハのフルート曲(これはリコーダーでも演奏できます)などは、まさにそういう時代に生まれた、そういう音楽の仲間でした。そして、リコーダーJPに作品を提供してくれた現代の作曲家たちも、そういう楽しみのために曲を作ってくれたのです。
■自分の楽しみのための音楽演奏■
また、こうした音楽の楽しみは、お金のない庶民が仕方なくやっていたことなのか、といえば、そうでもありません。作家の丸谷才一さんが、こんなことを書いていらっしゃいます(原文は旧仮名使いですが、新かな使いに直して引用します)。
「エリザベス女王はあるとき、一人でルート(注・リュート)を巧みに弾いているところを、スコットランドの女王の大使に立ち聞きされた。そのことに気がついた女王は、弾くのをやめてつかつかと寄って来て、彼をぶとうとしかけ、さすがにそれは控えて、『あたしは人の前では奏きません。気がふさぐとき、一人で奏くだけ』と言ったという。」(『コロンブスの卵』ちくま文庫版・112ページ)
エリザベス1世は、16世紀末から17世紀はじめにかけてのイギリスの女王で、彼女のころ、イギリスでは音楽がたいへんさかんでした。紳士はみな楽器をたしなみ、女王自身も、リュート、ヴァージナル(チェンバロの一種)を上手に演奏し、弾きながら歌も歌いました。しかし、それは、自分の楽しみのためであって、人に聴かせるためではありませんでした。むしろ彼女は、人に聴かれることを嫌ったのです。
丸谷さんによると、これは、音楽を人に聴かせるという行為は王族にはふさわしくない、という、当時の考え方があったのではないか、といいます。しかし、それはともかくとして、「音楽を一人で演奏する」という行為が、イギリスのもっとも著名な女王もたしなんだ、極めて高尚な趣味であることは明らかでしょう。
■もちろん誰かに聴いてもらうのもおおいに結構■
そしてもちろん、私たちは「王族」ではありませんから、「人前で演奏する」ことがあっても、いっこうに差し支えはありません。家族や友人の集まる機会にちょっと演奏を披露するもよし、あるいは、近所の公民館や飲食店を利用して小さな催しをやるもよし、さらには演奏会場をおごってリサイタルやコンサートをやるもよし。
無理をすることはありません。自分にいちばんしっくり来るやりかたで、演奏の楽しさを、周囲の人たちにも分けてあげることができたら、すばらしいですね。そしてまた、お友達の奏者をつくって、アンサンブルも手軽に楽しめます。アンサンブルは楽しいですよ。二人で心を合わせ、二人でひとつの音楽をつくり、そして、二人が、二人で作っている音楽の聴き手でもある。もちろん、演奏している人以外の人が聴いていてくれるのなら、それはそれでまた楽しい。
そう、音楽演奏の楽しみには、いくらでも広がりがあるのです。