■中期の傑作群の持つゆがみ■
突然だが、 「ベートーベンの中期は危ない」と私は思っている。ひとつは表現技巧の開拓に熱心なあまり、音楽が空疎になる。そしてときに、聴衆に強い感銘を与えようとしすぎるあまり、内容的にゆがんでくる。
たとえば名高いピアノソナタ「アパショナータ」の第一楽章や 第三楽章は、なるほど厳しい緊張感に満ちた曲だが、人間的な暖かさがない。 私には、何かに取りつかれたような異常さばかりが感じられる。 第二楽章は慰撫するような優しさがあるが、これも深い暖かみには欠ける。これなら私は初期の悲愴ソナタの緩徐楽章の方が(多少センチメンタルではあっても)真実な音楽に聞こえる。同じく中期を代表する傑作とされる「ワルトシュタイン」ソナタも、第三楽章は人懐こい感じが好きなだが、第一楽章はドタドタした品のない曲だなぁと思ってしまう。
同じようなことを、「ラズモフスキー」四重奏曲のセットや 第五交響曲「運命」にも感じる。ラズモフスキーの1番ヘ長調は、なるほど
スケールの大きな堂々たる曲で、ことに第一楽章は立派な気品のあるすぐれた音楽だと思う。だがスケルツォ楽章になると、確かに密度が高く意外性に満ちた天才的な作品だとは思うが、あまりの常軌を逸した音たちのエネルギッシュな乱舞ぶりをながめているうち、何か異様な出来事に立ち会っているような心持ちになってきて、しまいには気味が悪くなる。緩徐楽章も、あまりの深刻さが芝居がかっていて、ちょっと嫌ではないか。
中期の作品にも、第4ピアノ協奏曲や第3交響曲「英雄(エロイカ)」のような、こうしたゆがみをまぬかれた(あるいはうまく切り抜けた)傑作もあるが、概して、中期の最も中期らしい傑作と目される作品には、私は首をかしげる。
■難聴との関係■
なぜこうなってしまったのか。庄司渉さんというベートーヴェンを愛するシステムエンジニアにして電子楽器奏者のかたが以前書いておられた説では、ベートーヴェンは、自分の難聴がますます進んでいることに対する自覚から、それへの対策として、書法に凝り、とりあえず楽譜に書いてある音が鳴ってさえいれば表現内容が伝わるような書法を追求したのではないか、という。
確かにそれは一つのファクターだったろう。実際、アマチュア交響楽団がベートーヴェンを好んで取り上げるのは、「楽譜の音が鳴っていれば、何とか格好がつく」という、ベートーヴェンの音楽の特性とおそらく無関係ではない。
■「公開演奏会」は名人芸を求める■
しかし、私は、もう一つ見逃してはならないのは、ベートーヴェンが「公開演奏会の」時代に差し掛かったころの作曲家だということだと思う。
音楽がベートーヴェンをもってそれ以前の音楽と決定的に決別した、ということは、よく言われている。19世紀の人たちは、このことを「やっと音楽が芸術らしくなった」という具合に考えていたらしい。モーツァルトは幼稚な音楽で、バッハは昔の退屈な音楽で・・・、というわけだ。にわかに信じ難いことだが、これは本当に、音楽学者ランドンの言う「ベートーヴェンショック」をくぐった19世紀の音楽好きたちにおいては、支配的な音楽観だったらしいのである。
しかし、ランドンも、「ベートーヴェン以後」の音楽がそれ以前の音楽とは非常に違う音楽に変わっていったことの「原因」については、あまり明確に語っていなかった(私が読んだ本以外で語っているのかも知れないけれど)。一般にも、それは「天才ベートーヴェン」の個人的な資質によるものだ、と漠然と考えてられているのではなかろうか。だが、これについて私には説(新しい説であるかのどうかは不勉強な私にはわからないのだが・・・)があるのだ。つまりそれが「公開演奏会の時代に差し掛かったから」だというのである。
公開演奏会とは、日常生活から隔絶した大きな会場に、ただ音楽を聴くだけのためにお金を払った特別な人たちを集め、舞台におもむろに登場した名人演奏家が妙技をふるって聴衆を魅了する、というイベントである。したがって、そこで演じられるものは、常軌を逸した情緒であったり常軌を逸した名人芸であったりする必要があった。モーツァルトがすでに、「予約演奏会」なるものを開いていたのだが、モーツァルトはそこでは主としてコンチェルトを弾いて、華麗な即興のカデンツァで妙技を披露していたのだろう。あるいは、まったく即興でソロの演奏をすることもあったのに違いない。モーツァルトにおいては、そのように、彼の名人芸は、即興演奏によって発揮された。だが、ベートーヴェンに至って、五線紙に書かれた曲の本体そのものが、名人芸を十二分に盛り込んだものになっていったのである。
■音楽の性質の変化とベートーヴェンのゆがみ■
しかし、そのために音楽は変わった。音楽が、大仕掛けな道具立てを用いて、人々に恐怖を味わわせたりセンチメンタルな涙をしぼり取ったり、そのほかいろいろな日常生活では味わえない「劇的」な表現内容を持つようになっていった結果、音楽は生活の場で演奏するにはふさわしくないものに変化していった。そして、そうした音楽の創始者であるベートーヴェンにおいては、彼の天才が音楽のそのような新しい性質を追及することに急なあまり、とかくのゆがみが多かったのであろう。(19世紀から現代にかけての音楽のあり方に対する批判的観点が本プロジェクトと本サイトを生み出した事情については、これからも折りに触れてお話しさせていただくことになろう。)
付言すれば、ベートーヴェンは後期に至ってこの「ゆがみ」を克服する。ベートーヴェンの中期と後期の間にまたがる長い不毛の時期、ベートーヴェンは、壮年期の自分の音楽のゆがみに自分で気づいて苦しんでいたのだろう、というのが私の考えである。そして、その苦しみを通り抜け、ついに晩年のピアノソナタと弦楽四重奏曲をはじめとする、すばらしい傑作群を残してくれたということほど、彼の天才をよく証することは他にないと私は思うのである。
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